広島スタディーツアー《準備の過程編》
1.広島プロジェクト、始動
始まりは、「高校生としての最後の年どうしたい?」というメンバーたちとの会話。「修学旅行みたいなものはやってみたい」「広島は高校生ぐらいのうちに行くべきだと思っている」という声をきっかけに、広島スタディーツアーの企画が立ちあがりました。
8月から事前学習の機会をもち、9月からメンバーたちと週一回のミーティングを重ねてきましたが、当初は参加者がなかなか揃わず、二人だけの日も。
あるメンバーは「それぞれ来れるかどうかは個人の判断で自由だと思うけど、さすがに二人じゃ決められないし、じゃあ絶対来いとも言えないし。」と想いを言葉にしていました。
今年度からコスモ高等部に参加しているメンバーやこの活動で初めて会ったメンバーもいる中で、行きたいという気持ちをどう形にしていくのか、そのために想いをどう言葉にして伝えあっていくのか、毎週火曜日のミーティングという場が大きな意味を持ち始めました。
2.「場をともにつくる」という感覚
10月中旬、宿泊や長距離移動の不安も表明されてきたことから、当初の出発予定を延ばし、神奈川県相模原市の通称「ニローネ」地区にある古民家(運営は同じく協同ネット)で、一泊合宿というステップを踏むことにしました。
広島参加予定の五人のメンバーが参加し、三食ご飯をつくり、農場を見学し、夜にはミーティングを行ってきました。
帰ってきて、メンバー同士のやり取りの中で「なんかやろうよ」と声があがったり、一か所で展開されている話にだんだん集まってきたり、目でみてわかる変化もありました。たった一泊でしたが、生活をともにするという体験の中で、顔が向き合う、体が向き合う、場を囲む、そのような「ともにつくる」という身体感覚(?)がメンバーたちの中に生まれているように感じています。
3.「戦争について学ぶことは重い。でもどうして知ろう、知らなきゃって思うんだろう。」
ニローネでの夜、広島に向けたミーティングが行われました。
これまでのミーティングでも、戦争や原爆の悲惨さに触れることの「重さ」が話題になっていましたが、「それでも知っておかなきゃ、広島に行って学ぼうって気持ちが生まれるのは何なんだろう」という一人の発言から話が広がりました。
ウクライナで起きていること…自然災害の被害…残酷なもの、怖いものを観ると「ちゃんとショック」なのに観ようと思う、観てしまうんだという想いは、メンバーたちの間で共感とともに受け止められ、「〜はどう思う?」と相互のやり取りが生まれました。そこには、自分たちが生きているこの世界において、ただちには理解できない・受け入れがたいものとどう向き合っていくのか、という大事なテーマがあるようにも感じています。
実際に、事前学習でドキュメンタリー番組『映像の世紀』を見ましたが、それは「重たい」し、「ちゃんと傷つく」ものでした。広島で起きたことは知っておくべきなんだ、と感じているから集まっているけれど、今の自分にどこまで受け止められるか、どう向き合えるか、そこを自分なりに模索しつづけてきたメンバーたちの姿がありました。
そこには、これまでの学校体験の中で、「みんなで」「一斉に」行われてきた平和学習への違和感や抵抗感もあるのかもしれません。そうではなく、それぞれが生きる現実とどうつなげていくか、模索していくことに意味があるようにも思います。
この記事を書いた時点では、出発まで残り三週間ほど。今後は、自分たちは広島で何を見てくるのか、スケジュールに落とし込んでいく必要があります。ここからは、「自分はこうしたい」という個人の視点から、「自分たちはどうするのか」という他者との共同の視点に立っていく場面も生まれてくるでしょう。同時に、スタッフとしては、「ここは見てほしい、考えてほしい」という「願い」や「メッセージ」をどう伝えていくのか、自分たちが経験してきた平和学習も問いなおしながら中身づくりに取り組む必要があると感じています。
このような準備を経て、実際に広島でなにをつかみとってきたのか、次回の記事で報告します。